「ー、ただいまー」
「はいはい、おかえりー…って」
振り返った瞬間、私はそのまま硬直した。
笑顔なのはこいつの標準装備なので、今更気にしない。
その後ろに強面の、屈強な男たちが居並んでいるのも、いつもの光景なので気にしない。
――その全員が真っ赤な液体に塗れていなければ、いつも通りスルーしただろう。
「なんっっっですかその猟奇的な絵面はァァァァァァァァッ!?」
「なんで血まみれですか輸血パックでも頭からかぶりましたかッ!!」
「いやー、思ったより相手の血の気が多くてネ」
「血の気とかそういう問題じゃねーよ! お前ら艦内が血まみれになってんだろーが!!」
いったい何を相手にすればここまで血まみれになれるのか。
髪の毛までドス黒く染まっていて、元の色がわからなくなっている。
「神威、ちょっと来なさい!!」
「ー、汚れるよー?」
「まず自分が汚れてることを自覚しろ。
――テメェらもさっさと大浴場に行け! 後で艦内掃除させっからな、覚悟しろよ!!」
『イ、イエス・マム!』
振り返って思いっきり怒鳴ると、第七師団の皆様は一糸乱れぬ動きで敬礼して、そのまま脱兎の如く走り去っていった。
…床に滴る血の量…これ全部返り血なのか…。あーあー床が大変なことに…。
「…おいおい…すっかり調教されてんじゃねーか、第七師団…」
「あんたもさっさと血ィ落としてください。…なんでこう無頓着なのかこいつら」
普段は一見常識人な阿伏兎さんすら、この有様だからな…。
一番オカシイのが頭である神威であることは変わらんけれども。
「ホラ行きますよ提督サマ」
「はーい」
「片手で団長引きずって行くアンタもどうかと思うがね…俺は…」
げんなりしている阿伏兎さんの呟きは、無視した。
神威にまったくやる気がないのが悪い。
+++
提督用の居室には、24時間湯が張ってある意外と広い浴槽がある。
循環システムでいつでも新しいお湯が張られるというハイテクぶりだけど、
詳しい仕組みはよくわからない。ここ宇宙のど真ん中だぞ。
その浴槽に、私は思いっきり神威の頭を突っ込んだ。
「いたたたたっ! ちょ、! そんな力任せにやられたらさすがに痛いって!!」
「黙れ! …ああ、もう、さすがに血は落ちにくいなめんどくさい!!」
三つ編みの内側まで血が染み込んでいて、普通に濯ぐだけでは落ちそうにない。
…まったく、手の掛かる旦那様だこと。
片手で頭を押さえながら、空いた片手で三つ編みを解く。濡れてると解きにくい。
「痛いってば髪引っ張らないでよ!」
「大丈夫だ、これだけあれば遺伝子がアレでもまだハゲない」
「それ禁句!! ってか溺れるから湯船に顔突っ込ませるのやめてくれないかな!」
「お前は錘付けて海に沈めても死なねーよ」
こいつを殺す方法はあるんでしょうかね。
猛毒撃ち込まれても、腹に穴空いても暴れ回る規格外生物ですよ。
「さすがにそれは酷い。え、なに、ってヤンデレだったの…?」
「どっちかっていうとヤンデレはてめーだろ」
「俺は相手にはデレヤンだと思う」
「うるせーよ。逆にすりゃ良いと思ってんのか」
「いだだだだッ!? ちょ、待って、自分で洗うから!」
「こんな落ちにくい血ってある? いったい何の生物と戦ったの?」
「話聞いてよ」
「あ」
さすがに、腕力でわたしが敵うわけがないので、強引に身を起こされると負ける。
思いっきりお湯を被る羽目になった私は、思いっきり顔を顰めた。
「…神威くん。びしょ濡れになったんですけど。何してくれてるのかな?」
「こっちのセリフだよ。さすがにあのままだと溺れ死にそうだったからね…」
「水も滴るイイ男でしてよ」
「アリガトウ」
顔を引き攣らせる神威の珍しい表情を眺めつつ、髪を染めていた血が落ちたことに私は満足していた。
服は…もう面倒くさいから捨ててしまっても良いのではないだろうか。どうせ制服みたいなもんだし。
「…おーい、そこの提督サマと秘書官サマ。
団員が怯えてるのでそろそろその物騒なじゃれあいはやめてもらえませんかね。外まで丸聞こえなんだよ」
心底嫌そうな声に視線を向けると、浴室の入口に疲れた表情で阿伏兎さんが立っていた。
「阿伏兎さんいつからいたの?」
「団長が髪引っ張られてるあたりかね」
それは、結構前からいらっしゃったんですね。
まったく気づかなかった。声掛ければいいのに。
「…見てないで助けろよ、阿伏兎」
「喜んでるんじゃねーのか」
「喜んでないよ。俺はドSなの。Mじゃないの」
まるでSMプレイに興じていたかのような言い方はやめて頂きたい。
確かに荒っぽいやり方だった。かも。しれないけど。
「荒っぽくして悪かったって。血、落ちたよ。ホラ、髪拭いてあげるからこっち来なさい」
「あ、終わってたんだ。はーい」
わしわしとタオルで髪を拭いてやっている私と、おとなしくしている神威を交互に眺めて、
阿伏兎さんは何か言いたげな微妙な表情をした。なんなんだ、いったい。
「そういや阿伏兎さん、何か用事ですか?」
「…無きゃこんなとこに近づかねーよ…事後処理があるから執務室に来てくれ秘書官殿…」
「あー」
そういえば、その辺は私の仕事だったっけか。
.
.
.
とりあえず着替えて執務室に移動してきたが、まあ仕事になるわけもなかった。
べったりくっ付いてきている神威が邪魔で、机に向かうこともできない。
仕方ないので髪でも結ってあげようとしたら、さらに邪魔される。躾のなっていない犬でしょうか、このひとは。
「…時々、は夜兎並みに凶暴だと俺は思うヨ」
「またまた。それは褒め過ぎですヨ、神威くん。
てか胸に顔埋めんな。さりげなく揉むな。この体勢だと髪結えないでしょーが」
「俺は嫁の手で殺されかけて傷心なの」
こいつがそんな繊細なハートの持ち主か。
「私は何度旦那に殺されかけたかわかりませんが。その凶暴な嫁に引っ付いてるのはどこの誰よ」
「最近、はあんま照れてくれなくて俺は寂しいよ」
「お黙んなさい。慣れさせたのはお前だ。…ねぇ、ホントにこの体勢だと髪結えないよ、意外と三つ編み難しいんだぞ」
「いーよ、しばらくこのままで。また後で結って」
「あんたホントに我が儘…」
「仕事終わった後なんだから、甘えさせてよ」
私の仕事はこれからなんですけどね。
…そう言って聞くような奴なら、端から邪魔したりしないだろう。
「…はいはい。手の掛る旦那様ですことー」
「あははっ、結局甘やかしてくれるが好きだよ俺は」
「あー、ありがとよー」
ベタベタくっ付かれるくらいなら、大した被害もない。
されるがままに抱き枕よろしく抱えられている私に、阿伏兎さんは重苦しいため息を吐き出した。
「…そこの暴君夫婦。頼むからいちゃつくなら仕事の後で自室で頼む」
「「あれ。いたの?」」
「おい! ここどこだと思ってんの執務室だぞ!!」
怒鳴られて、私と神威は顔を見合わせた。
そして全く同じ動きでかくんと首を傾げる。
「冗談、じょーだん。いや、阿伏兎さんは反応良くて楽しいなァ」
「このドS夫婦が…。あのよ、嬢ちゃん…最近、随分と団長を甘やかし過ぎじゃねーか?」
「そう?」
そうかな。…そうかもしれない。
抱き付かれ程度なら、特に害もないので好きにさせてるけど…。
これだけで大人しくしてくれているんだから、安いもんだろう。
「そうでもないよ。仕事モードのは阿伏兎より厳しい」
「どこら辺が?」
「俺は案外、真面目にデスクワークもやってます」
「それ最初からあんたの仕事だから。今までやってないのがオカシイだけだから」
そもそも、大した量の仕事でもない。
これが企業の役員さんならもうちょっと忙しいのだろうが、こいつらの職業は宇宙海賊。
春雨自体が闇商人っぽい側面もあるので書類仕事は確かに発生するけれど、基本的に荒事担当の第七師団自体の机仕事は多くない。
…今は一応、仮にも、こいつが提督なので、そっちの仕事の方が多い。
色々疑惑を向けられている立場なので、通常よりしっかり仕事をこなす必要があるわけだが――
「…だから仕事終わったらこうやって構ってやってんでしょーが。文句言わないのー」
「でもさー、俺はああいう細々した作業ダメなんだよ向いてないのー」
「うるさいでーす、ほとんどやらないくせに何様だ。
一応提督らしい仕事してるとこ見せとけ、つってんのよ。
あんたね、立場わかってる? いくらあんたでもね、現状で元老院敵に回してたら勝ち目無いのよ?」
「だいじょーぶだよ、最終的に皆殺しにするんだからそれが遅いか早いかの違いしかないさ」
「そういう問題じゃねーって何度言わせるのかなこのバカ提督は?
これ以上ごねるなら、しばらく私に近付かないで。そしたら頭冷えるんじゃねーですか」
「ゴメンナサイ」
「よし」
素直で大変よろしい。
おざなりな謝罪を受けて鷹揚に頷く私は、とても心が広いと思う。
「…ホントに逞しいな嬢ちゃんは…秘書官の地位をお飾りにしない秘書官殿で嬉しい限りだ」
「こっちに付く以上はね、色々やらないといかんでしょ…。おかげで余計なことまで知るハメになった。
ますます後戻りできない泥沼状態ですヨ。…ちくしょう、高杉のヤロー…いつか泣かす…」
「ダメだよ、あいつ殺るの俺だよ」
「安心しろ。私が奴を泣かしてからあんたが殺れ」
「それなら良いや」
「………………いや、そんな物騒な部分で意気投合されても困るんだが」
良いんです。
あいつは私の天敵だ、一発くらい私が殴っても許されるはず。
「…じゃれてるとこ悪ィがな。そろそろ働いてもらおうか、第七師団。いや、バカ提督殿」
…。
……。
………あれ。聞こえちゃいけない人の声が聞こえたぞ?
油切れのロボットみたいな動きで振り返ると、高杉が執務室の入口に気怠げに背を預けてこっちを見ていた。
…え、なんでいるの。相変わらず何を考えてるかわからない顔して、なんでここにいるのあいつ。
「…え。いつからいたの、高杉」
「安心しろ、入って来たのはたった今だ。通信に出ないお前らが悪い」
は? 用があって通信飛ばしたら応答無くて、単身乗り込んできたと?
…鬼兵隊の総大将が? わざわざ? ひとりで??
「通信に出ないからって乗り込んでくる大将がいるかよ」
「こっちは仕事明けでいちゃついてるとこなんだから空気読んでよ、シンスケ」
「ンなもん後にしろ。常に連れ歩いてるんだからいつでも出来るだろ」
「それもそっか」
「いつでもOKとは言ってねーぞふざけんな」
ひとをなんだと思ってるの、こいつ。
もうある程度は諦めもついたけれど、好き勝手されるのは我慢ならんぞ。
「で? の機嫌がこれ以上悪くなる前に訊くけど、次の地獄廻りの行先決まった?」
「ああ。…喜べ、提督殿。地球だ」
その軽口に乗って吐き出された言葉に。
私は、自分の顔から血の気が引く音が、聞こえた気がした。
――多分。私は、いま、酷い顔をしていたんじゃないだろうか。
「やっとかぁ。長かったねぇ」
「待たせて悪かったな。だが祭にゃ念入りな準備が必要だ」
「そうだネ。余計な横槍入れられたら困るしね」
言葉を失う私に構わず、ふたりは物騒な話を天気の話題並に軽く言い合う。
耳障りなほど、自分の鼓動が早鐘のように脈打つ。
――落ち着け。
冷静に。動揺したって何も良いことはない。
一度、ぐっと唇を噛み締めてから、わたしは高杉を睨みつけながら、口を開いた。
「…高杉。あんた、なにやらかしたの?」
「今更覚悟が揺らいだか、。俺がやろうとしてることは知ってるだろう」
「………」
睨め付ける私を、高杉は面倒そうに見やって軽くキセルを傾ける。
「…私、詳細を聞く権利があると思うんですけど?」
「――先代将軍、徳川定々が死んだ。次は徳川茂々を引き摺り下ろし、頭をこちらの駒とすげ替える」
「…ッ、なん、」
「俺の盤上には民に愛される賢君は要らねェ。扱いやすいバカ殿が必要だ」
「…高杉、あんた」
「まず間違いなく、あの馬鹿は首突っ込んでくるだろうな。
…会いたくねぇなら第七師団だけ貸せ。使いものにならないようならお前は要らん」
真っすぐに見据えてくる視線に、咄嗟に言い返せす言葉が見つからない。
何度も口を空回りさせる私の腕を掴んで、神威が自分の方に引っ張った。
「落ち着け、。らしくない」
「神威」
「あんまりをイジメないでよ、シンスケ。後でご機嫌とるの俺だよ?」
「そうかい。…で、てめェはその甘ちゃん連れてくつもりか?
ただの木偶ならまだマシだが、土壇場であっちに寝返られても困るんだがな」
「寝返る。が? まさか!
はシンスケのことなら裏切るかもしれないけど、――俺のことは裏切らないよ。絶対に」
「……」
けらけらと笑う神威の態度は、どこまで飄々としていて一見、真剣味なんて欠片も感じさせない。
だけど私には、それが軽口でも気紛れでもないことを、肌で感じている。
「…で、どうする? お留守番してる?
別に来なくても良いよ、暴れて来て良いなら勝手に暴れて来るからさ」
「…………待っ、て」
必死に、声を絞り出す。
来なくて良い、というのは優しさなんかじゃない。
目を、耳を塞いで逃げるなら、何が起こっても文句を言うなという、最終通告だ。
「――行くわ。神威を首輪無しで放逐出来ないからね」
「俺は珍獣かよ」
「猛獣だよ化け兎」
…結局のところ、高杉に借りを返すまでは…私も、降りるわけにはいかないのだろう。
いや――そもそも、選んだのは自分自身だ。あの時、腹括ったじゃないか。
「――結構」
鷹揚に頷いた高杉の表情からは、何を考えているかなんて読み取れない。
…なんでも、いいか。降りられなくても、こいつに全面的に従う必要は、無いのだし。
「、顔は隠しておけよ。てめェは一橋喜々がご執心の藤原の姫だ、面倒事は避けたいだろ」
「え。徳川御三家の若様って一橋喜々のことなの?
そもそも徳川御三家って言ったら尾張・紀州・水戸じゃなかったっけ!?」
「…?」
え、うそ、この世界では御三卿家と混ざってるの?
予想以上にとんでもない置き土産ですよ、蝶子さん。
「…って本当にお姫様なの? こんな口悪くて凶暴なのに?」
「どういう意味だコノヤロウ。姫じゃないよ、ただの庶民だよ」
「ただの庶民が宇宙海賊の中で悠然と姐さんやってんのかよ。地球人おっかねーな」
「好きで宇宙海賊やってるわけじゃないんですが?」
「確かにその猪娘は本物の姫じゃねぇが、一般庶民でもないからその戯言は聞き流した方が良いんじゃねーか」
「戯言とはどういう意味か! あと猪じゃないし!!」
いい加減、猪呼ばわりはやめて欲しいのだが!!
だけど、お決まりの言い合いで少しだけ、波立った気持ちが落ち着いた。
「本物の姫がどこに行ったかはもう興味もねェが、少なくともてめェのツラは藤の姫に瓜二つだ。
外見だけで見分けんのは不可能なくらいにな。…てめェが言い寄られてそこのガキが暴走すると困るから、ツラ隠しとけ」
「それは仕方ないネ。に手を出したら将軍だろうがなんだろうが殺すよ」
「ハイ、そこ。笑顔でそういうこと言わない。わかった顔隠しておくから…」
私のせいで、しかもそんなくだらない理由で人死にが出るのは勘弁して欲しい。
顔隠すってどうすりゃ良いの。布とか仮面とか被れば良いの?
「決行は三日後だ。準備しておけ」
「りょーかーい」
言いたいことだけ言って去っていく高杉の背を見送る。
天敵、猪娘と言い合いながらも、結局、場数踏んでるあっちが何倍も上手だ。
きっと高杉は、端から私を勘定に入れていない。
それはそうだろう。私の立場は宙ぶらりんで、そもそも存在自体がイレギュラーだ。
「………」
「」
「…なに」
「は手を出さなくて良いよ。でも、」
ゆるりと視線を向けると、獣の青い瞳と目が合った。
普段の張り付けたような笑みとは違う、その表情に私は一瞬、呼吸を忘れる。
「――あの時、決めたんだろ。腹を括ったんだろ。なら、最後まで見届けろ」
「………」
「俺はいくらでもを甘やかすけど、が自分で自分の矜持を汚すのは許さない」
矜持、と。
強いその音に、ゆっくりと目を瞬かせた。
「俺の隣で、俺と一緒に生きるって決めたのはだろ。
なら、俺の隣で、最後まで見届けろ。それがの権利と義務だ」
「…神威」
「殺せとは言わない。笑えとも言わない。でも泣くな。目を逸らすことも許さない。
はもう、『攫われてきたお姫様』じゃないだろ」
いっそ淡々と発せられる言葉の羅列。
何勝手なこと言ってんだコイツ、と思いながら、その言葉は妙に素直に私の中に落ちた。
「――宇宙海賊春雨第七師団団長、この神威の女だ。お前が自分で選んだんだろ、」
「……は、」
――ああ、まったく。
こいつはこういうとき、絶対に私を甘やかしてはくれない。
「…最っっっ悪。顔色ひとつ変えず言うか、普通? せめて笑えよ」
「事実だからね。間違ってたんならごめんね、お詫びに殺してあげるよ」
「死なねーよ。旦那の手で殺されるとか御免蒙るわ」
深く、深く、息を吐く。
どうしたいか、どうするべきなのか、今はわからない。
それでも、たったひとつ。誰でもない、自分で選んだ道を、思い出した。
「――指示をちょうだい、提督サマ。私はまず何をすればいい?」
「そうだね。まずは戦準備を始めようか、秘書官殿」
――だから、今は強がって笑う。
どうするかなんて、その場に立ってから決めればいい。
「――敵は、地球の侍共だ」
不本意な帰還
To be continued?
気に入っていただけたら、ぽちっと押してあげてください。コメントは入れなくてもOKです。