少し赤みの掛った黒髪。
小柄な体躯に似合わない、鋭い剣閃。
所詮は地球人。その刃がこの身を引き裂くことはない。
だけど、数本散らされた自身の髪と、対照的にきょとんと目を瞠る女の表情が、いやに印象的だった。
「…え。あ、あれ…女の人じゃない…間違えた…?」
…何だ、この女。面白い。
思わず嗤ったのは、多分、無意識だった。
「――おねーさん、名前は?」
「へ? だけど。あの、ごめん。人違いってか手違い。忘れて欲しいんだけどどうかな」
「ふぅん…、ね」
ふと思い出した。
最初に会った時、あの銀髪の侍の隣にいた女だ。
「ってかあんた、その血、何? 抱えてるそのでかい人、怪我人?」
「え? ああ、心配しなくて良いよ。ほとんど返り血だし、この怪我人もほっときゃ治るしね」
「か…返り血?」
面白い女だ。
普通に会話してるくせに、握った得物を構えたまま降ろしもしない。
本能的に、俺が「安全なモノ」ではないと、認識しているのだろうか。
なるほど、地球って惑星はどうやら、なかなか面白いモノが揃っているようだ。
「――面白い女だなぁ」
抱えていた阿伏兎を放り出して、俺は目の前の女との間合いを詰めた。
ハッと我に返ったように、彼女が動こうとしたのは、一瞬遅い。
綺麗な細い首に手刀を突きつけて、俺は嗤いながら言い放つ。
「…ッ!!」
「気に入ったよ。ねぇ、? 俺の子供を産んでくれないかな」
「へ…?」
対する彼女の返答は、そんな間の抜けた反応だった。
――目が覚めたら見知らぬ場所でした、というのは経験があったが。
起きぬけに、知り合いでもなんでもない男の顔が至近距離にあったのは、初めてだった。
「………」
「あ、やっと起きた? 目覚まさないからさ、うっかり殺しちゃったかと思ったよ」
下手な女よりよほど整った顔立ちをしたその男は、笑顔でとんでもなく物騒なことを言う。
とっても知り合いに良く似たその面差しに、物凄く嫌な予感がしたけど一応聞いてみた。
「………どちらさまでしたっけ?」
「名前? 神威だよ」
「………ごめんなさい、覚えがないです。聞いたことあるような気もするけど」
「そりゃそうだよ、さっき初めて会ったんだから」
「ああ、そう…じゃあ、ここはどこかな…家に帰らないと」
「無理だと思うよ」
「へ?」
「だってここ、宇宙のど真ん中だもの」
「!?」
笑顔のままで言われた言葉に、今度こそ私は絶句した。
…宇宙の、ど真ん中?
「…宇宙のど真ん中、ってなに」
「そのままの意味だけど。もっと詳しく言うなら、春雨所属の第七師団移動艦の中」
「………なんでそんなとこに私が居るのよ!?」
ほんの少し前まで私は地球の、吉原にいたはずだ。
銀さん達を夜王鳳仙のところへ行かせるために、月詠と一緒に残って、途中で半分引き受けて、それで。
「わかりやすく言うと――」
混乱している私に対して、神威と名乗った男はまるでなんでもないことのように、軽い口調でとんでもない一言を言い放った。
「――君は俺に誘拐されてきたんだよ」
「は…………、はァ!?」
一瞬言葉を失って、目を瞠る。
今、何と言いましたか。
誘拐? 誘拐って言った?? 誰を? 私を?
「なんで誘拐!? 多額の身代金出せるような家の子じゃありませんけど!!」
「あはは、そんな面倒なことしなくても金には困ってないよ」
「じゃあなにさ! …またあの成金貴族絡みか! だから私は蝶子さんじゃないっての!!」
「知ってるよ、だろ? 自分で名乗ってたじゃない」
「………」
今回は人違いでもなんでもなく、「私」が何かに巻き込まれたらしい。
いやいや待ってよ、なんでだよ。何度も言うけど、私は平凡な一庶民だよ?
それがなんで、宇宙海賊に誘拐されて宇宙のど真ん中に連れて来られなきゃいけないわけ?
「上の考えはともかく、俺は地球の政治のごたごたには興味無いよ。
だからあんたが権力者の娘だろうが、吉原の遊女だろうが関係無い」
「誰が遊女だ」
「ああ、やっぱり違うんだ? 百華かなとも思ったけど、敵対してるみたいだから違うのかな」
「……あ、思い出した」
そこまで聞いて、ようやく直前の記憶を思い出した。
そうだ。百華の半数を引き受けて、逃げたり攻撃したり繰り返してた時に、間違えてこいつに攻撃したんだった。
そしてよくわからない問答の末に、とても妙なことを言われた記憶が。
「あの時は気づかなかったとは言えゴメンナサイ。髪の毛大丈夫かしら」
「うん、平気」
「…で、思い出した記憶が確かなら、私は物騒極まりないプロポーズを受けたような気がするんですが」
「物騒だったかな?」
「ええ、とっても」
「まあやること変わらないからどうでも良いことだよね」
「どういう意味だ」
「そりゃあ、簡単なことだよ。
夫婦になるなら、まずやることはひとつしかないだろ?」
笑顔で何言ってるんだろう、この人。
軽く頭痛を覚えて、思わず片手で頭を抱えた。
「…いや、誰が夫婦になるなんて言ったよ。丁重にお断りします」
「君の意志を尊重する気があるなら、気絶させて誘拐なんてしてこないって」
「どういう理屈! 誘拐の上に結婚強要て犯罪じゃない!」
「何を今更。春雨は宇宙最大規模の犯罪シンジケートだよ?
誘拐なんて大したことじゃないって。五体満足で連れてきただけ良いじゃない」
「大小関わらず犯罪は犯罪だ!」
五体満足じゃない状態で連れ去られる可能性もあったわけ?
顔は奇麗だけどおっかねーなこの兄ちゃん! やだもうさっさと帰りたい!!
「だいたい、なんでついさっき初めて会った女にプロポーズ?!
言っておくけど、イケメンに言い寄られた程度で落ちる程安い女じゃないからね私!」
と、言い返してからふと気づく。
目の前にいる男の顔は、並の女よりよほど綺麗な造作をしている。
が、それ以前によく見知った顔に印象が被る。それこそ毎日見ていた顔に。
「…待って。…あんた、もしかして、神楽のお兄ちゃん?」
「そうだヨ。出来の悪い妹が世話になってたみたいだね」
「………」
あっさり認められてしまった。
神楽の兄の話は、神楽や海坊主さんから少し聞いたことはある。
聞く限りろくでもない兄貴のようだが、本物を前にして思うのは正直「そんな可愛いもんじゃない」、だ。
なんて表現したら良いだろう…高杉とも違う、抜身の刃…いや、もっと原始的な、そう、野生の獣のような。
「…何がどうしてどうなったら神楽の兄ちゃんが私にプロポーズしてくる超展開が始まるわけ…?
おかしいな、私、あんたに斬り掛ったけど髪の毛散らした程度で血の一滴も出させてないと思うんだけど…?」
「地球産の女で俺の髪を散らしたのは君が初めてだよ。
それだけでも優秀だけど、俺を前にしても怯えひとつ見せなかったところが気に入ったんだ」
「いやめっちゃ怯えてますよ? いきなり有無を言わせず誘拐して結婚強要する宇宙海賊の幹部とか恐ろしいわ」
「またまた」
顎を掴まれて、無理矢理上向かせられる。
その青い瞳には、新しいオモチャを手に入れた子供みたいな、無邪気な色。
だけど同時に、獲物を見つけた獣の気配も濃く香る。
「――警戒されてるのは感じるけど、怯えてはいないだろ?
誘拐されてきたお姫様は普通、誘拐犯相手にこんな普通に会話なんて出来ない」
「……」
「だからこそ興味深い。君が一体なんなのか」
「…いや、普通の一般庶民だよ。それ以外の何者でもないよ」
「地球の一般庶民はみんな君みたいに強くないでしょ」
「いやいやいや。買被り過ぎですよ、私のは単なる道場武芸ですので」
なんでみんなして人の腕っぷしを過大評価するかな。
そんなに女で道場武芸を身に着けてるのは珍しいか? そんなことないはずだ。
少なくとも、宇宙海賊の幹部に目をつけられるほどのものは持っていないはずだ。
どう考えたって九ちゃんとか月詠とか、さっちゃんなんかの方が強いはず。…いや、腕相撲なら勝てるけど。
「今まで女にさほど興味なかったんだけどね。君は特別だよ。
すぐ壊れるような脆い肉体しか持たない、地球人。だけどその中で、俺の髪を散らしたのは君だけだ」
「たまたま、そうたまたまだって! ほら、あんたでかい荷物担いでたじゃん? そのせいだよ」
「その程度がハンデになるとでも? 地球人の女は奥ゆかしいね。似合ってないけど」
「オイコラ似合ってないとはどういう意味だ」
言い終わる前に、強く腕を引かれ、視界がぐるりと回転する。
さっきまで寝かされていたベッドに転がされて、両手首を掴まれて縫い付けられる。
…なるほど。なかなかピンチじゃなかろうか。女として。
「………」
押さえつけられた腕は、動かそうと力を込めてもびくともしない。
加虐の色を微かに孕んだその目を見れば、何を求めているのかは一目瞭然だ。
期待に応える気はない。唇を引き結んで、じっと睨め上げる。
「…普通、こういうときは泣いて暴れたりしない?」
「何を期待してるわけ? 泣いて暴れたら解放されんなら全力で暴れてやるよ」
重力の違いなのか別の要因なのかは正直わからないが、この世界に来てから私の力は強くなっている。
それでも、夜兎である神楽の膂力には敵わない。神楽の兄貴であるこいつに、敵うわけがない。
考えなしに暴れたところで、怪我するのは私だけだ。それがわかるくらいには、まだ私は冷静だった。
「泣いても止めてはくれないだろうし、暴れてもあんたに敵うわけないし。
どっちにしろ、こんなことしたってあんたが得られるものなんか私の侮蔑だけよ」
「…ふむ」
多分――選択肢を間違ったら、私は死ぬ。
普通に考えれば、いきなり殺されることはない。だけどこいつは普通じゃない。
私の何がこいつの目に適ったのか知らないが、期待外れと見るや興味を失って始末されるだろう。
そういう臭いが、する。無害そうな笑顔の奥に、狂気に似た色が見える。
冷静を装って、必死に考える。どうする。どうしたら良い。
「…でも全然諦めてる顔じゃないよね?」
「おう。どのタイミングで急所を攻撃するかとか、噛み千切ってやろうかとか考えてる」
「ことごとく予想外の反応ばっかりするなァ。ここで虚勢が張れるとか大した女だね」
やかましい。虚勢張る以外に今の私に何が出来るんだ。
「メソメソ泣くだけの女だったら、適当に遊んでどこかに捨ててこようかと思ってたけど、どうしようか。
泣きも喚きもしないで睨みつけてくる女、そういないよ。一時の玩具にするには勿体ない。ねぇ、ホントに嫁に来る?」
「行かねェ。…あっれー? オカシイな、選択肢間違ったかなー?」
「大丈夫、間違ってないヨ。君なら宇宙海賊も務まるんじゃないかな」
やり過ぎて更に興味を持たれてしまった気がする。
………………おかしいな。なんでこうなるの。どんだけ運が悪いの私。
「…あんたが色事に興味がある男に見えないんだが? コレはやっぱり嫌がらせかな?
だったら宇宙に身投げして死んで欲しい。もちろん私を地球に戻した後に」
「まったく興味ないわけでもないよ? 俺だって健全な男だよ、人並みに欲くらいあるさ。
君みたいな女なら余計にね。腕っぷしが強いだけじゃなくて、美人で気が強くて性格悪いとか最高だと思うんだよ」
「性格悪いって言った! 自覚あるけどあんたには言われたくない!!」
そこが良いって言われたの初めてなんだけど何こいつ!?
「大丈夫、俺は気に入ったものは大事にする男だよ」
「それを信じるほど私の頭はお花畑じゃない」
「そんなに威嚇しなくても痛くしないヨ。多分」
「凄い! 何一つ信用出来ない!!」
「うるさいなぁ」
うるさいとはなんだ!、と。
抗議しようと開いた口は、音を発する前に塞がれた。
「…っ」
呼吸を奪われるそれは、いっそ暴力。
口を閉じることも許されず、侵入してくる舌先から逃れようとすれば、さらに深く貪られる。
「ぅ、ぐ…っ」
息苦しさに耐えられなくなって、相手の唇に思いっきり歯を立てた。
確かな歯ごたえと同時に、口内に広がる血の味。
「っ!」
バッと、弾かれたように神威は私から顔を離した。
一瞬だけ目を瞠って、唇に滲む血を軽く拭いながら、小さく笑う。
「…俺の髪を散らすだけじゃなく、血まで流させるとはね。
こんなイイ女は久しぶりだ。拾ってきて正解だったよ」
「……」
人を犬猫みたいに。落ちてたわけでも捨てられてたわけでもないっての。
「反抗の意思は固いみたいだねぇ。…よし。今日はここまでにしよう」
「は!?」
唐突にそう言って、神威は私の手首から手を離した。
多少赤く跡が付いているのが仄かに恐ろしいが、折れていたりはしない。
「気が変わった。しばらくは手は出さないでおくよ」
「……?」
「あんたみたいな女は、無理矢理抱いても俺のものになりそうにないからさ」
当たり前だろ。どんな女だってそうだわ。
せっかく気が変わったようなので言い返しはしないが。
身を起こして、服の前を掻き抱くようにガードしながら、じろりと睨め上げる
「好きなだけ抵抗してくれて良いけど、逃げるのは諦めた方が良いよ。
宇宙のど真ん中で他に宛ての無い君が地球に帰れるわけがないし、俺は帰す気全くないしね」
「…いや、帰せよ」
「やだよ」
「ガキかあんたは」
「仲良くしようよ、これから長い付き合いになるんだからさ」
「ならねーよ。寝言言うな」
笑顔で差し出された手を、思いっきり叩き落とす。
それでもケラケラ笑っているので、こいつ多分頭のネジ飛んでるんだ。とんでもない奴に目をつけられた。
好き好んでこんな危ない奴に逆らう気も無いが、従うのも癪だ。私の貞操概念はそこまで緩くない。
――しかし、周囲は星の海。ましてや海賊船の中。
当然宇宙船の操縦なんて知らない私が、単独で逃げ出すのは不可能だ。
さて、どうしたものか…。銀さん達助けに来てくれないかなー。無理かなー。
軽く現実逃避しながら、頭を抱えた。
異世界デビューで少し慣れたと思ったらコレだ、薄々気づいていたけど私は、本当に運が悪い…。
斯くして、私は異世界デビューに続いて宇宙デビューするハメになった。
気紛れな肉食獣と同じ檻に入れられた、草食動物のような気分で。
…この時の私は、想像もしなかった。
あの居心地の良い場所を、自ら手放すことになるなんて――――――。
災厄な求婚者。
To be continued?
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