――暗い闇の中で、少女は豪奢な装丁の本を重たげに抱えていた。
椅子と小さなテーブルだけが存在するその空間で、彼女はゆっくりと本のページを捲る。

――そして少女と少年は、新たな一歩を踏み出したのです。
 その先に待つ、《悲劇》を知る由もなく……』

そこまで読み上げ、少女は唐突に本を閉じた。
世界を包む静寂。
広がるのは冷たい闇。
誰にともなく呟く少女の声が、その空間に響く。

『…そうね。そろそろ進まないとダメよ。過剰な《停滞》は罪だわ』

先を読むことを止め、少女は頬杖をつく。
ゆるりと目を眇め、視えないはずの外へと意識を向けた。

『束の間の平穏は、もうおしまい。さあ、《物語》を進めましょう、《 》。
…貴方は、どんな《物語》を紡いでくれるのかしら――――?』



File20 闇に降る雨




くるくる、と。
真新しい傘を回転させながら、わたしは降り続ける雨を眺めていた。

悪夢のような引っ越し作業を終えて、数日。
明日はいよいよ、教団本部の移転だ。
わたし達は方舟のゲートを繋げる為に、一日早く教団の新居へと向かっていた。

「…いやー…引っ越し作業、間に合ってよかったねぇ…」
「…そーですね…、水が跳ねるので傘回さないでくださいよ。
 というか、なんで肩並べてるのに一緒に入れてくれないの」
「え? 狭いから」
「泣いて良いですか」
「どーぞどーぞ」
「……」

おざなりな返事を返すと、一瞬止まった後、アレンは物凄く重苦しいため息を吐き出した。

ってさ…開き直ると辛辣というかなんか僕の扱いが適当…?
コレはある意味ツンデレなんですか? なにこれ高度過ぎる…泣きたい…」
「ツンもないしデレもないよ?」
「いや、デレはあっても良いでしょ?! 真顔で何言ってんですか酷い!」
「あんたこそ真面目に何言ってんの…」

多分わたしのせいなんだろうけど、アレンの口から「ツンデレ」とか聞きたくなかった。
…ちょっと日頃の言動を考えた方がいいのかもしれない。うん。

「…
「ん」
「僕に、隠してることあるでしょ」
「…アレンも、わたしに隠してることあるでしょ」
「「………」」

流れる、沈黙。
やがて耐えかねて、わたしたちはため息を吐いた。ほぼ同時に。

「…なんでわかるのかなぁ」
「…ねー。なんでだろーね」

ある意味、以心伝心というんだろうか。
言わなくてもなんでもわかる――なんて馬鹿なことは言わないけど、でも、なんとなくはわかる。

――そう。アレンは何かに悩んでいて、それをわたしに隠してる。多分、《奏者》絡みの何か。
そしてわたしも、悩んでいて、アレンに話していないことがある。《クロニカ》と名乗った彼女のことを。

「…ちゃんと、話すよ。自分の中で整理がついたら」
「…うん。わたしも、話すよ。自分の中でケリつけてから」

言えない。
秘密にしなければ。

…多分、そういう感情はないのだと思う。わたしも、アレンも。
ただ、どう話して良いのかわからないだけだ。

きっと。
話せば、何かが変わってしまうだろうと、確信があるから。
逃げるつもりはない。お互いに。
でも、だけど、この束の間の平穏に――もう少しだけ、浸かっていたいという気持ちがあった。

「だから、」
「うん」
「…もう少し、このままで居たいね」
「…うん…そうだね」

雨で身体は冷えていたけれど、触れ合う肩だけは温かい。
こういうのを、物語では傷ついた小鳥が羽を寄せ合うような、とでも表現するんだろうか。
そんな馬鹿なことをふと考えて、可笑しくなってわたしは笑う。


ああ――雨が、止まない。


+++


――少し前の話になる。
教団本部の移転準備に追われて、ばたばたしていた時期。

みんな忙しいのもあったけれど、師匠とルベリエ長官が中央庁へ向かい、監視の目は若干緩んだ。
リンクの存在は、今や違和感がないくらいだ。…しょっちゅうと喧嘩してるのはなんでだろう。性格合わないのかな。

「アレンくん。キミは『奏者の資格』が何か知ってるね…?」

コムイさんに呼ばれて室長室に赴いた際、そう切り出されて思わず硬直した。

「それは〝唄〟だとクロス元帥は言っていた。
 その〝唄〟を知っていれば誰でも方舟を操れると。――ボクらに教えて欲しいんだ」

ああ、――――それは、嘘だ。
言葉に耳を傾けながら、目を、細める。

「これはまだ公にしてないんだが、これから新しい本部や任務に、方舟の能力を導入していくことになった。
科学班で使い方をよく研究すれば、我々にとっても強力な武器になる」
「……」

何を返せばいいのかわからなくなって、反射的に視線を落とした。
その反応を別の意味に解釈して、リーバーさんが気遣うように膝を折り、視線を合わせてくれる。

「アレン? お前が〝唄〟を知ってたって、俺らはお前を疑ったりしないぞ。一部の奴らの言うことなんて……」
「あ、そうじゃないんです…その…気持ち…悪くて…」

覚えのない、旋律。
当たり前のように、その旋律を奏でた自分。
――まるで、意思を無視して何かに操られているかのようなそれが、酷く、気持ち悪い。

「ワケわかんないモノを、自分の中に持ってるっていうのが…気持ち悪いんです」

――マナとの暗号で綴られた、身に覚えのない唄。
僕は、未だに仲間の誰にも…にすらも、何も言えずにいる。

――嘘、ですよね……?」

ぽつりと呟くように告げた言葉に、微かにコムイさんが反応する。

「方舟を動かす唄は確かに知っています。でも唄を知っていればコムイさん達も奏者になれるっていうのは、師匠がワザとコムイさんに言わせた嘘…ですよね?」
「どうしてそう思うんだい?」
「…師匠は、昔からよく僕を試すようなことをするんで」

あのひとが決めた正しい答えがあって、それに沿えるか否か。
――真実を、見極めているか、否か。

「あの方舟は僕じゃないと動かせないんでしょう。僕も多分…そうだろうと思います」

確信に近いものはある。師匠は方舟で、代わりにピアノを弾くことを申し出たに不可能だと言った。
だけどきっと――その事実が無くても、わかる。本能が、そう告げている。

「どんなに周りから疑われてもエクソシストの任務として命令があれば、《奏者》としての役目もちゃんとやりますから心配しないでください」

ろくに説明もないまま帰ってこない師匠に、だんだん腹が立ってきた。
それが伝わったのか、困ったように笑うコムイさんに、かくん、と首を傾けて確認する。

「…それを言わせたかったんでしょ」
「……」
「あと師匠に伝えて欲しいんですけど」
「伝える? なんて」

返事の代わりに、立てた親指を思いっきり下に向けた。

「…って」
「それをボクにやれと? アレンくん!?」

コムイさんの立場も、理解しているつもりだから。いまは、意地を張ろうと思う。
もう少し、もう少しだけ。自分の中で整理がついたら、そのときは。
――せめてにだけでも、話ができるはずだから。


+++


「またぼーっとしてるよ、アレン。今度はなに?」
「え…ああ、うん…なんでもないよ」
「…………」
「ホントだってば。ホラ、あれ…新しい本部かな、って」
「…はいはい。そういうことにしておきます」

事実、アレンが示す方角には荘厳な建物が見えた。
あれが、黒の教団の新しい本部――か。
船でしか出入り出来ない、天然要塞…。

「風邪ひくよ、ふたりとも」

背後から掛けられた声に、わたしとアレンはほぼ同時に振り返った。

「リナリー、ジョニー」

軽快な足取りで船室から出てきたのは、リナリーとジョニーさんだ。
わたしたちに並んだふたりに、アレンはニコリとほほ笑む。

「ヘーキだよ、ジョニー達が作ってくれた団服あったかいから」
「ホラね、リナリー」
「ふふ…そうだね」
「? 何?」

首を傾げるわたしたちに、ふたりは楽しそうに笑った。

「今ね、奥で話してたらね、ジョニーが言ったの」
「アレンて近頃オレらと話す時、敬語ハズれてきたよなって!」
「え?」

きょとん、とわたしとアレンは二人を見つめ返した。
そして思わず、互いに顔を見合わせる。

「……」
「……」

…アレンが似非紳士なのは今に始まったことじゃないし、敬語はずしてきたのももっと前からだと思う。
わたしに文句言う時は大抵敬語だけど。なんでだ。

「…そう? だいぶ前からでしょ?」

首を傾げるわたしに、リナリーとジョニーは顔を見合わせてからほぼ同時に吹き出した。
わ、笑われた!? なんで!?

「まぁ、とアレンはねー。初対面から喧嘩腰だったしねー」
「あら、違うわよジョニー。アレンくんにとって、が特別だからよ」
「そうだよなぁ。普段女性に対しては徹底的に穏やかなアレンが、相手だと余裕なくなっちゃうもんな」
「ねー」
「「嬉々としてからかうのやめようよ!」」

割と前からその傾向あったけど、教団に帰ってきてからやたらとアレン絡みでからかわれる気がする!!
これはきっとアレンの過剰なスキンシップのせいだと思うんだけど、実際どうなんですかね…。

「…と、こんな感じでオレやリナリーとか、よく話す奴にだけみたいだけど時々ね。気づいてなかった?」
「任務の時はみんな、戦闘で会話も短くなるし荒っぽくもなるから、私はあんまり気にしてなかったんだけど。
 言われてみればそうかもって話してたの。ジョニーってよく見てるよね」

言われてみれば、確かに…?
わたしに対しては、まあともかく。ラビたちにも気安くはなった、かな?

「それは気づきませんでした」
「いいじゃない。私、敬語じゃないのスキ!」
「す、すきって…」
「そうだよ、なんで敬語で話すのさ」

口々に言われて、アレンは困ったように笑う。
こういうこと言われ慣れてないからなぁ、アレンは。

「別にそんな深いワケは…もう癖なんで…」
「アレンの紳士スタイルって世渡りうまくするためじゃないの?」
「えーと…」

返す言葉を探して狼狽えているアレンを横目に、わたしは口を開く。

「……良いなぁ、アレン。リナリーに好きとか言ってもらって」
「え」
「わたしにも言ってリナリー!」
「そっち!? 百歩譲っても嫉妬する相手が逆でしょ!?」
「もう、ったら相変わらずね。のことは大好きに決まってるじゃない」
「きゃー! わたしも大好きだよリナリー!」

勢い良く抱き着いたわたしを、リナリーは優しく微笑んで受け止めてくれる。
この子、細いのに体幹良いからか平気でわたしのタックル受け止めるんだよね…とても良い安定感…。

「え? 何この流れ!? 僕だってから大好きとか言われたことないんだけど!?」
「諦めなよ、アレン。とリナリーはさ、ほら、相思相愛だから?」
「それ全然フォローにも慰めにもなってないよねジョニー!?」
「オホン!!」

騒ぐアレンの背後から、咳払いとともにコムイさんが顔を出した。

「今も任務中です。もう着くから降りる準備しなさい」
「あ」
「起きたの、兄さん」
「船酔い治りました?」
「…あんま喋らせないで吐く…」

顔が真っ青だった。
コムイさんって神経図太そうなのに、まさか船に弱いなんて。

「コムイさんが船苦手とか、なんか意外。図太く見えて繊細なんですねぇ」
「…ちょっとちゃん…? 悪気も無く酷い事言うのやめようよ…」
「すみません、素直で…」

思わず返した言葉に、突っ込みが無かった。
相当具合悪いらしい。ちょと悪いことをしてしまいました。反省。

「…って地味に毒舌だよね」
「毒舌具合をアレンに言われるとか泣きたいわー」
「どういう意味ですか」
「そういう意味だよ言わせんなよ」
「…久々に殴りたいと思う苛立ちを覚えました」
「暴力反対でーす」

拳を握り締めてにっこり微笑むアレンに言い返して、身を翻す。
頬に当たる冷たい雨を受けながら、視線を巡らせる。
――荘厳な雰囲気を持つ孤城が、視界に映った。


+++


――明日の朝、本部団員すべてがここへ移ってくる。
そのためのゲートを作るため、アレンとその監視役であるリンク、おまけのわたし、
そして化学班を代表してジョニーさん、室長であるコムイさん、コムイさんの護衛としてリナリーが、
こうして一足早く現地に入ることになった。


「わー、ひろーい!」
「子供ですか君は…」
「相変わらず雰囲気あるね! なんか出そう!」
「やめて!」

相変わらず幽霊屋敷のような趣である。
敢えてこの雰囲気を作っているのなら、どういう意図なんだろうか。

「はいはい、イチャついてないで仕事仕事ー」
「ちょ、ジョニーさん変なこと言わないで!! いちゃついてないから!」
「…そこを即答で否定されるのはもう慣れましたよ…」

実際、いちゃついてないし。
リンクもジョニーさんも、他の化学班のスタッフもいるのにそんなこと出来るかって話だ。

「仕事終わったら好きなだけイチャついて良いからさ」
「だからっ」
「じゃあ、ええとここはー…うん、9番だね」
「ジョニーさん聞いて!?」

軽くあしらわれてしまった…。
資料片手に、ジョニーさんはアレンを指定場所へ誘導する。
誘導された場所に、アレンは素直に歩を進めた。

「うん、その位置でお願い」

静かに、アレンは目を閉じた。

「…………」

時間にして、ほんの数秒。
ヴン…ッ、と微かな起動音と共に方舟の陣が出現する。

――繋がりました。9番」
「リョーカイ。旧本部へ。9番ゲート確認してくださーい」

通信機に向かって、ジョニーさんがそう声を掛けた。
返ってきたのは、本部に残るリーバーさんの声だ。

『こちら旧本部、了解。新居はどうだ、ジョニー』
「階段が少ないっス」
『今、ロブ達が確認に行ったから待ってろ』

その通信が終わるや否や、設置したばかりのゲートからひょこっとロブさんが顔を出した。

「9番ゲート開通~♪ やぁ、アレン。も」
「こんばんは、ロブさん」
「こんばんはー」

軽く手を振って、二言三言、言葉を交わす。
ロブさんは名残惜し気に顔を引っ込めた。…化学班のみんなって好奇心旺盛だよね、本当に。

「ゲート繋げんの慣れてきたじゃん!」
「頭の中で歌詞を唱えるだけですからね。
 僕が行ったことのある場所じゃないと繋げられないみたいなのが難点ですけど」
「あん! 敬語じゃなくていいわよぅ
「…その話、まだ続いてたんですか…」

最近、ジョニーさんはずいぶんアレンと仲良しだ。
一緒にチェスをしてる姿を、よく見る。
何かあったのかな、などと白々しいことは言うまい。多分、きっかけというか理由は、明確だ。

「……」

少し離れたところから、コムイさんが穏やかな、でも少しだけ陰りを帯びた表情でわたしたちを見ていた。
わたしたちを、というよりはアレンを、だろうか。
その視線の意味はわからないまま、わたしたちはジョニーさんに呼ばれて他のゲート設置場所に向かった。


.
.
.


――よし!」

資料の最終チェックを終えて、ジョニーさんがパンっと資料を閉じた。
16番ゲート。予定のゲートは、ここで最後だ。

「これで全部設置完了! お疲れ~~」
「明日みんなが来るの楽しみだね」
「ねー。朝までチェスしない?」
「あははージョニーさん寝てくださーい」

化学班みんなそうだけど、呼吸をするように徹夜するのやめて欲しい。
睡眠のサイクルが狂っているんだろうなぁ…割とわたしたちも狂ってるけど。

「最近、は婦長みたいだね…」
「みんなが無茶苦茶な生活してなければこんなこと言いません!
 チェスで遊ぶのは良いけど、ちゃんとご飯食べて夜は寝ること!!」
「は~い」

本当にわかっているんだろうか。
あとさっきから妙にリンクが静かで不気味なのですが。

「こんばんは~~っと」

この後の予定を話し合っていると、設置したばかりのゲートから聞き慣れた声が響いた。

「よ~~~っす、オツカレ
「なんじゃい。冷えるのぉ、ここ」

軽い口調でそう言いながら、ラビとブックマンが現れる。
……なんで? いるの??

「出発は明日だよ、ラビ」
「寝ボケてるんですか?」
「ンなワケあるかーい」

胡乱げなアレンに、ラビはそう突っ込みを入れる。
ラビだけならともかく、ブックマンも一緒なら寝ボケではないだろう、けど…。

「ちょいと本業の方でな」
「ほんぎょう?」

本業。――ブックマンの、仕事?

――ご苦労でした、ハワード監査官」

嫌な予感を覚えて顔を顰めたわたしは、背後から聞こえた声に驚いて振り返った。
いままで静かだったリンクが、ピシッと敬礼する。

「キミも任務ご苦労、アレン=ウォーカーくん」
「!」

――ルベリエ長官…なんで、ここに。
聞いていない。この人が来るなんて、一言も聞いてない…!

「来たまえ。今からキミには私の指示に従ってもらいますので、よろしく」

有無を言わせる気はないらしい。
咄嗟に、わたしはアレンを庇うように前に出た。

「ま、待って! アレンをどこに連れて行くつもりですか!? わたしも行きます!!」
…」

前に出たわたしを、アレンはやんわりとよこに退けた。
そして、ジョニーさんたちの方に押しやろうとする。

「…ダメだ。君はジョニー達と残って。僕は大丈夫だから…」
「でも!」
「おや。すっかり悪者扱いですな」

割と自覚のあるセリフを吐いて、ルベリエ長官はわざとらしくため息を吐き出した。
アレンの腕を掴んで、じろりと視線を向ける。

「ご安心を、嬢。貴方も同席させたいというのが、彼の希望ですからね」
「「彼」…?」

誰のことを指しての言葉だろう。
チリ、と微かに右手が痛んだ。まるで警告のような、一瞬の痛み。
――この、漠然とした不安はなんだ。

「……」

必死に抗議するジョニーさんの声も、わたし達を取り囲む変なローブの集団も、
――そのほとんどが、わたしの意識に入ってこなかった。

強く、縋るように、わたしはアレンの手を握り締めた。
応えるように、アレンもわたしの手を握り返してくる。
微かに震えるわたしを、宥めるように。








そこで、わたしは確信する。
――――束の間の平穏は、もう、終わってしまうのだと。






雨ガ、止マナイ。



To be continued?

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