昼食を食べて、のんびりと寛いでいた午後。
唐突に、リボーンが切り出したのは衝撃的な一言だった。
「オレはちょっと野暮用でイタリアに行って来るぞ。
まぁ一週間くらいで帰ってくるとおもうが、その間、ちゃんとに家庭教師やってもらえよ」
「はァ!?」
なんの脈略もなくそう言うと、リボーンはどこから用意してきたのか、大量の紙束をテーブルに置いた。
目を白黒させるオレに、「オレが留守の間の課題だぞ」と、常と変わらない口調で言い放って。
「じゃ、早速行って来る」
「ちょっ…リボーン!?」
止める間もなく――というよりこちらの話なんて聞きもせず、リボーンは部屋を出て行った。
しかも窓から。
「な、なんなんだよ…」
テーブルに置き去りにされた紙束と、リボーンが出て行った窓とを交互に見やり、思わずため息を吐いた。
それはもう、条件反射的に。
「…リボーンめ…学校の宿題以上の課題を置いていくなよな…」
リボーンが数日留守にするのは構わないが、それでこの量は無いだろう。
たまには息抜きくらいさせろよ、とは思う。
が、それでもリボーンの指導よりはこれから向かう部屋の主の方が、全然優しい家庭教師だ。
「…あのー。さん、居る?」
つい数ヶ月前まで物置同然だった部屋のドアを、少し遠慮がちに叩いた。
中に居るのは、ホームステイという名目で沢田家に居候する少女。
それも、とあるマフィアのボス代理という、またとんでもない経歴を持つひとだった。
…まぁ、マフィア関係の中では、まともな部類に入るとは思うけど。やっぱりどこか変な人。
「さん?」
返事が無い。
どこかに出掛けた覚えは無いし、家の中にはいるはずなのだが。
居間だろうか。一応確認してみようと、ドアノブに手を伸ばす。
「…あ。開いた…」
女の子の部屋だから、と鍵を付けたはずのドア。
あっさりと開いてしまったということは、中に居るのだろうか。
「…失礼しまーす…」
部屋の中で何かあるとは到底思えないが、もし具合でも悪くして倒れていたら大変だ。
そう思い、恐る恐るドアを開く。
女の子の部屋に無断で入るのだから、相当勇気の要る行動だった。
そして、ドアを開けた瞬間に目に飛び込んできた光景に、思わず目を瞠る。
「…寝てる…」
…珍しい。
大きめのクッションの上で丸くなって寝ている様子は、まるで猫のようだ。
「…さん?」
遠慮がちに声を掛けてみる。
更に珍しいことに、身じろぎだけで一向に目覚める気配が無い。
「疲れてるのかな…」
ぽつりと無意識に零れた言葉に、自分で納得した。
いくらマフィアのボス代理、如何に覚悟を持って来たとは言え、見知らぬ家での生活。
その上、見知らぬ人間ばかりの見知らぬ土地で、ストレスが溜まらないわけがない。
「……」
持って来た課題の山をテーブルに置いて、彼女の傍に腰を下ろす。
覗き込んだ彼女の顔立ちはやっぱり綺麗で、凛とした瞳が閉じられている今は、印象が少し変わる。
穏やかに寝息を立てて眠る様子はどこか幼くて、どこか微笑ましい気分で頬に掛かる黒髪を払ってみた。
「…って、何やってんのオレ」
無意識にやってしまったその行為が、何か酷く恥ずかしいことだったような気がして、慌てて手を引っ込めた。
どうかしてる。眠っている女の子に、勝手に触れるなんて。
「ー! 遊んでー!!」
いきなり廊下から響いた大声に、驚いて飛び上がりそうになった。
「ラ、ランボ…!?」
聞き覚えのあり過ぎる声に、慌ててドアを開ける。
そこにはランボと、フゥ太の姿が。
「あらら?」
「ツナ兄?」
「あ、フゥ太も居たのか…」
「ツナ兄、姉は?」
「うん、」
さっきの騒ぎで、目を覚ましただろうかと振り返ってみる。
…やっぱり寝てる。あれだけの声で目が覚めないなんて、かなり疲れているんだろうか。
「…今、寝ちゃってる。疲れてるみたいだから、そっとしておいてあげような」
「そうなんだ…姉、いつも頑張ってるもんね」
「……」
…確かに。
毎日のように、一部の守護者からは喧嘩を売られ、リボーンに無茶を言いつけられ。
…………挙句にオレの家庭教師までやってるんだから、そりゃ疲れるだろう。
「じゃあ、ボク達外で遊んでくるね。行こう、ランボ」
「うん! ランボさん公園で遊ぶんだもんね!」
「はいはい」
フゥ太に手を引かれて、ランボも心なしか普段よりおとなしく、階段を下りて行った。
その後姿を微笑ましい気分で見送ってから、もう一度部屋に入る。
「…さてと。オレも自分の部屋に戻ろうかな…」
運んできた課題の山を持ち上げて、踵を返した。
瞬間、片足が動かず、思わずつんのめる。
「った…!?」
そのまま勢いで、床に強かに顔を打ちつけた。
…は、鼻打った…格好悪…ッ!
「い、いたた…え、なに…?」
足元を見ると、何故かしっかりとズボンの裾を掴まれていた。
…寝てるのに。
「…な、なんで?」
穏やかな寝息を立てて寝ている。コレは間違いない。
ないけれど。…なんでズボンの裾? 何と間違えたんだ??
「…しょうがないか…」
手を外させることは、出来るだろうけど。
こんなに気持ち良さそうに寝てるのに、起こしてしまったら可哀相だ。
苦笑して、その場に座り直す。
さっき転んだ際に散らばった課題は、後で片付ければ良いだろう。
少し年上で、ちょっと変わり者だけど優しい彼女なら、微笑って許してくれるだろうと、そう思って。
+++
「――ナ。ツナ、起きて」
「ん…」
軽く揺さぶられて、ゆるりと目を開ける。
目を開けた瞬間、視界に飛び込んで来たのは、さっきまで横で眠っていた少女の顔だ。
「…ぁ…れ?」
「おはよう」
「おは…よ?」
目の前にある、綺麗な顔を寝惚け眼で見つめ返す。
…あれ? オレ、何してたんだっけ?
ぼんやりと考えながら視線を巡らせて、ここが自分の部屋ではないと自覚した瞬間、思い出した。
「ッ!!」
慌てて身を起こすと、さっきまで丸まって眠っていた彼女は、行儀良く正座で座っていた。
うっかり眠ってしまっていたらしい。
起きるのを待っていたはずが一緒に寝てしまって、しかも相手に起こされるとか…情けないことこの上ない。
「ごめんなさい。これ、訊きに来たんだよね?」
「あ」
そう言って彼女が示したのは、大量の紙束だった。
リボーンの置き土産。数時間前に盛大に散らかした、課題の山だった。
「ご、ごめん! 散らかしちゃって…ッ」
「良いよ。紙が散乱してただけだし」
散乱していた分は、すべて拾い集めてくれたらしい。
トントン、とテーブルの上でそれを揃え直しながら、彼女は至極自然な所作で口を開く。
「起こさないでおいてくれたんだね。気遣ってくれて、ありがとう」
そんな言葉と共に向けられた、柔らかな微笑。
急に、血液が顔に集中するような感覚を覚えて、思わず口元を手で押さえた。
なんだこれ。血が沸騰するような、変な感覚…!
「…ごめん! それ、後で取りに来る…ッ」
「え? ツナ?」
不思議そうな彼女の声を聴こえない振りでやり過ごして、対角線上にある自分の部屋に滑り込む。
後ろ手にドアを閉めて、ドアに背を預けたままその場にへたり込んだ。
…思わず逃げ出してしまった。自分でも酷く驚いて、狼狽えて。
「…うそ、だ」
嘘だ。
嘘だ嘘だ、だって。
だってオレが好きなのは京子ちゃんで、…京子ちゃんのはず、で。
でも、じゃあ、これは何だ?
笑顔を向けられた途端に、早鐘のように脈打ち始めたこの鼓動の、意味は?
向けられた君の笑顔に、ひどく幸せな気分になるのはどうしてだろう。
END
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