――それは、《日常》の中に潜む、嵐のようなモノ。
いつ来るのか。
今なのか。
それとも、一生来ないのか。
この世界で生きる限り、一生は有り得ない。だが。
それはまるで嵐のように予測が出来ず、いつ来るのかまったくわからない。
だからこそ、《約束》は持たず、ただ生きて行くしか、なかった。
「それじゃ、わたし行って来るね」
「…ああ」
「………あのさ。せめて「いってらっしゃい」の一言くらいあっても良くないですか」
「誰が言うか。さっさと行け」
「酷っ!? それが任務に出掛ける恋人に言う言葉?!」
甘い言葉のひとつもなく。
『行って来い』、とも。
ましてや『行くな』とも、言えず。
「もーーっ、…いってきます!!」
それだけ言い捨てて部屋を出て行く彼女を、追いかけて見送ることも、せずに。
死と隣り合わせの世界で生きる者同士、互いに任務に赴いた地でいつ死ぬかわからない。
だから、《約束》はなく。
『行って来い』とも、ましてや『行くな』とも、言えずに。
――――ただ、その背を見送るくらいしか、出来ない。
+++
「……」
「どうしたんさ、ユウ。ぼーっとして」
「…ラビか」
椅子の裏側から顔を覗かせたラビに、おざなりな返事を返す。
こいつが神出鬼没なのは出逢った当初から変わらず、今では驚くこともない。
「…今日、何日だ」
「は? えーっと…15日かな」
…15。あいつが出て行ったのが先月の20日。
戻ってくるまでに、あと一週間は掛かるか…。
「…おーい、ユウー?」
いや、それだって単なる予定だ。
任務期間は長引くこともあるが、早まることもある。
「おーい。…ってダメだ、完全に自分の世界に入っちゃってるさ」
「ラビッ! 神田!! 居る!?」
唐突に響いた切羽詰まった声に、弾かれたように顔を上げた。
視線を向ければ、見慣れた少女が顔色を変えて、談話室に駆け込んできたところで。
「…リナリー」
「ん? どした?」
「直ぐに来て! とアレンくんが…!!」
「…ッ」
最後まで話を聞く前に、無意識に立ち上がっていた。
+++
「大げさですよ」
「大げさだよ」
慌てて駆け込んだ医務室では、馬鹿ふたりが呑気な口調でそう言い放った。
包帯まみれの姿で、医務室の寝台に平然と座りながら。
「アレンの怪我なんてねー、アクマ破壊して勢い余って崖から落ちただけだから」
「うるさいですよ。なんて飛んでる最中に余所見して、木にぶつかった怪我じゃないですか」
「それを言うなよ相棒」
「都合の良い時だけ相棒にしないで下さい。
だいたい、が余所見しなかったら僕だって落ちなくて済んだんじゃないですか」
「いや、そもそもにおいて勢い余ったアレンがダメなんだよ」
「誰がダメなんですか。君に言われたくないですよ、このダメ人間」
「失礼な!」
相も変わらず、至極下らない言い合いが始まった。
一緒にしておくと喧嘩しかしないこのふたり。何故コムイはしょっちゅうこいつらにコンビを組ませるのか。
「…っていうか、どっちもダメさ」
「まったくもう…」
「筋金入りの馬鹿だな、おまえら」
心配していたのが馬鹿らしくなるほど、呑気で馬鹿な反応に溜め息を吐く。
リナリーとラビからも動揺の視線を向けられ、は心外そうに目を眇めた。
「なによぅ、ちゃんと無事に帰って来たんだから良いじゃない!」
「…任務外で怪我してますけどね、僕達」
「茶々入れんな」
「はいはい、喧嘩しないの!」
このふたりの喧嘩の仲裁は、専らリナリーの役目だった。
今もリナリーの一言で、大人しく口を噤む。
「おかえりなさい、。アレンくん」
「おかえりさー、ふたりとも」
「はい。ただいま」
「ただいまー」
真白の包帯を巻かれた姿で、そう告げて微笑う姿に。
「ただいま、神田」
「……」
――掛ける言葉が、無い。
「あ、あれ? 神田?」
何も言わずに踵を返す。
後ろ手に閉じた医務室のドアの向こうで、困惑の声が、聞こえた。
+++
六幻を振るう手を止め、目隠しの布を外した。
近づいてくる気配の主は間違いようもなく、相手も気配を隠そうとはしていない。
…いや、消し方もわからないのかもしれないが。
「…こんなところにいた」
ざくり、と土を踏む音と同時に、静かな声が静寂の中に響いた。
「…」
「こんばんは?」
「傷に響くぞ。部屋に戻れ」
「だったら傍に居てくれても良いのに。ケチ」
「…ケチって。おまえな…」
拗ねたように言い返してきた言葉は、あまりに幼稚だ。
そのくせ向けてくる視線は凛と真っ直ぐで、反論を許さないかのような強さがあった。
「――ねぇ、神田。何度も言わせないでよ」
「あ?」
「わたしは、死なないよ」
強い、凛とした眼差し。
真っ直ぐな、淀みのない声。
かつて同じ場所で、これと同じ言葉を――聞いた。
「怪我しても、酷い目に遭っても、それでもわたしは生きて帰ってくるよ」
スッと、持ち上げられた細い腕は、包帯に覆われ。
ただ触れてきた指先だけは、傷のない、常のもの。
「だから、」
囁くような声量で、だがその声音には強い力を孕み。
そのまま胸に預けられた柔らかな黒髪が、夜風に舞った。
「せめて、「おかえり」くらいは言ってくれない?」
「……」
呟かれた言葉に、与える言葉は思い浮かばずに。
ただ、その頬に手を添えて、上向かせた。
きょとんと目を瞠って、瞬間、は柔らかく微笑む。
「ただいま、神田」
「…おかえり、」
つられるように言葉を返し、誘われるように口付ける。
約一月ぶりに触れるという事実よりも、触れた箇所から感じる鼓動の音に安堵する。
「…あー。ごめん、なんか神田に似合わないね、そのセリフ」
「…言わせておいてそれかおまえは」
「それがわたしだ、諦めろ」
「偉そうに言うことか」
どんな局面でもこいつは変わらないな、と。
先程の余韻も引きずらずに笑うを見て、思わず苦笑が漏れた。
「…とっくの昔に諦めてんだよ、俺は」
「んー?」
「おまえ相手に俺の常識なんか通じねぇ、ってな」
「あ、なんですかそれ、わたしが非常識みたいな言い方ー!」
――何度も繰り返しては、その度に思い出すのだろう。
死なない、と。
凛とした表情で、迷うことなく告げた――あの時のこいつの言葉を。
「…あのねー、神田ー」
「ん?」
「ここまで来るのにイノセンス使ったんだけどさ、もう疲れちゃって発動したくないの」
「…だから?」
「連れてって!」
「そこで一晩過ごせ」
「ちょっとぉ!?」
《約束》はない。
《未来》だって誓えない。
刹那を生きる、その一瞬の為だけに向けられる強さ。
「ねぇねぇ神田ぁ!」
「あーーっ、うるせぇ!! ぶら下がるな! 元気じゃねぇかおまえ!?」
――ああ。
先の見えない嵐は、こいつ自身だ。
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