――人生は選択肢の連続、などと言うが端から選択肢を貰えない人間もいる。
決められた場所、決められた道、何もかも予め用意されて設置される機構のように、人形のように生きることを余儀なくされた存在も居る。
だが、人形にだって欲はある。
そう言う家に生まれたのだから、ある程度は諦めたとしても、最低限の欲くらいはある。
だけどきっと、そんな些細な欲すら叶うこともなく、終わるのだろう。
漫画やドラマの主人公のような、キラキラした何か。それを、なんてことはない日常だと思える世界。そんなものは存在しないのだと、さすがにもうわかっている。
物心つく頃から、そういうものとして育ったのだ。だからきっと、大したことじゃない。
そうしてすべて諦めて、彼女は生きてきた。
「――さん?」
「え…」
ぼんやりと学校から帰宅する途中。彼女の行く手を阻むように現れたのは、見上げるほど背の高い男だった。
白銀の髪にサングラスという出立ちだが、まだ若い。二十代半ばくらいだろうか。
「…ナルホド。確かに、ちょっと変わった感じの力がある。所謂巫女みたいなものなのかな」
「…あの…?」
「ああ、ごめん。ちょっと君に聞きたいことがあってね」
屈むように顔を寄せて来るのは、距離感がおかしいひとなのだろうか。それとも身長が高過ぎることによる弊害か。
普通なら、初対面の成人男性に距離を詰められれば怯えるか逃げるだろうが、彼女は首を僅かに傾げただけだった。
「君、十種影法術の口伝伝承者、って本当?」
――その邂逅は、三年前の出来事。
人形のように日々を過ごしていた少女が、初めて『選択肢』を得た日だった。
+++
何の迷いもない足取りで、彼女は馴染みのない場所に足を踏み入れた。
東京都立呪術高等専門学校。若き呪術師達の学舎。彼女には今まで縁のない場所だったが、ここには彼女が会うべき『運命』が居る。
警報、のようなものが鳴り響いたが、彼女は全く動揺しない。寧ろ「まあ、さすがに反応が早いですね」などと呑気に言いながら、気にせず歩を進める。
「部外者は立ち入り禁止ですよー。何してんの」
「あら、ちょうど良いところに」
掛けられた声に、彼女はようやく足を止める。
呑気に微笑んで、声をかけてきた相手に優雅に会釈した。
「こんにちは、お久しぶりです。五条さんがお出迎えなんて、わたし、とてもVIPなんですね!」
「高専がアポ無しで未登録の呪術師入れるわけないでしょ。何言ってるのかなこのお嬢様は。何しに来たの?」
「はい!」
元気に返事を返して、彼女は身を乗り出した。
「伏黒恵くんに、会いに来ました!」
.
.
.
時計を見ると、始業時間をとっくに超えていた。相変わらず、担任教師は時間通りには教室に現れない。
またかと諦めにも似た達観で、伏黒が自身の席で頬杖をついてぼんやりしていると、なんの脈略もなく教室の扉が勢い良く開け放たれた。
「おはよー!」
妙なハイテンションで、担任である五条が現れた。遅刻して来たくせに、まったく悪びれていない。
「…五条先生…怒りにくい微妙な遅刻はいい加減にしてもらえませんか」
「今日はちゃんと理由があるんですぅ。恵にお客さんだよ」
「客?」
訝しげに首を傾げる伏黒の耳に、聞き覚えのない声が届いた。若い女性の声だ。
「ちょっと、ちょっと。邪魔です五条さん、退いてください教室に入れません!」
「君ねぇ…一応今は授業中なの、部外者をここまで入れてあげただけでも感謝しなさいよ。邪魔って酷くない?」
「わたしは伏黒恵くんに会いに来たんです、五条さんには一切興味はありません!」
「言い切ったよ…」
小さく肩をすくめて、五条が横に移動する。
廊下の方から教室内に進み出て来たのは、小柄な少女だった。中学生くらいだろうか。
五条相手にぞんざいな口を聞く少女。品の良いお嬢さんといった風貌で、どこか浮世離れした雰囲気もある。なんとなく、御三家かそれに連なる相応の育ちをした人間であると、伏黒は直感的に判断した。もしかして、同期生になるのだろうか。
「…ええと」
「あなたが、伏黒恵くんですか?」
「そうですが…」
「わたしはと申します! 18歳です!!」
年上だった。自分より頭ひとつ分身長の低い彼女を、伏黒は思わずまじまじと見てしまう。
口を開いた瞬間に、印象が変わった。例えて言うなら、人懐こい仔犬だ。
困惑している伏黒に構わず、彼女はやたらと目をキラキラ輝かせながらにじり寄ってくる。
「はじめまして、わたしと結婚してください!」
「は…?」
満面の笑顔で口にされたのは、タチの悪い冗談みたいなセリフだった。
+++
「…で。なんなんですか、このひと」
にこにこしながら行儀良く座っているを一瞥して、伏黒は五条へと胡乱気な視線を投げた。
こういう意味のわからない事態は十中八九、五条が要因であると伏黒は認識している。そしてだいたい合っている。
「んー…禪院家のお嬢様」
「は?」
「宗家の人間ではないよ。分家になるのかな」
「当代からは結構遠いですけどね」
「18代目の系譜だっけ。まあ、それはどうでも良いか。彼女は禪院家相伝術式の口伝伝承者のひとりらしいよ」
「口伝…?」
耳慣れない言葉に、首を傾げた。
口伝。所謂伝説や伝承を語り継ぐことを指すことが多いが、伝統芸能や古武道などの継承方法を指すこともある言葉だ。
「そ。術式自体は個々人の体に刻まれるものだから、基本の使い方とかは勝手に理解するんだけど。術式の解釈を広げて、より正しく使うために必要になるのが、初代から代々継がれてきた口伝、らしいんだよねぇ」
禪院家は相伝術式の種類が多いからね、と。
なんでもないことのように、他家の術式の話をする五条に、伏黒は胡乱気に視線を送る。もっとも、そんな視線を気にする相手ではない。
「で、この子は十種影法術の口伝伝承者ってわけ。僕も一度聞いたんだけどさ、何言ってるか全然聞き取れないの」
「五条さんに聴こえるわけがないのです。何度も言ったのに人の話聞きゃしねぇのです、なにこの大人」
「君、なんでたまに口悪くなるの?」
「あら失礼。つい」
大して悪びれもせず、は微笑いながら首を傾げる。
顔に似合わず毒舌気味なのは、血筋だろうか。
「……」
「あー。よくわかってない顔ですね」
首を傾げる伏黒に、は苦笑する。
そして、少し思案するように視線を彷徨わせてから、小さく頷いた。
「こう言う時は、論より証拠ですよね。では伏黒くん、少し、わたしの声に耳を傾けて貰えますか?」
「? は…い!?」
返事を返すより早く、が伏黒の手を取った。
振り払うわけにもいかず、困惑したまま固まっている彼に、は自分の眼を指さす。
「わたしの目を見て下さい」
からは、敵意も悪意も感じない。五条が止めない、ということは特に害があることではないのだろう。そう判断して、伏黒は小さく頷いた。
「そのままわたしの言葉に耳を傾けてください。そう、集中して――」
催眠や暗示のような、平坦でありながら自然と耳に馴染む声音。どこか安心感を覚えるような、柔らかな音。少し、意識が浮遊するような不思議な感覚がした。
「――」
「!?」
急に聴こえた言葉の羅列。
言われるままに、の声に意識を集中させていると、不意に意識に何かが入り込む感覚があった。
「…聴こえましたか?」
「いまの、が?」
「はい」
小さく、は頷く。
どこまでも穏やかなその表情と、現状がいまいち噛み合わない。
耳で聴く、というよりは脳や神経に浸透してくるような何か。現象と表現した方が妥当かもしれない。
それはまさしく言葉の塊のようなもので、歌でも詩でも会話でも無い。例えが見つからない、曖昧な何かなのに理解が出来る。
「書物に記録したり、語り部による口伝が一般的な認識と思いますが、当家の口伝はそれとは別物です。術式を継承した者のみが聴こえる音を発する、特殊な声帯呪術の一種ですね。口伝を口にしているわたしにも、実は聴こえないのです」
「聴こえない…?」
「ええ。わたし自身は、十種影法術の継承者ではありませんからね。あと、術式を継いでいても才能によっては全部聴こえるわけじゃないみたいですよ。でもきっと、あなたには全部の口伝が聞き取れるのでしょうね」
そう言いながら、は添えるように触れていた伏黒の手を握る。まるで大切なものであるかのように。
「だから、今代の口伝伝承者であるわたしは、あなたのためだけに在ります」
ふわりと微笑む仕草と言葉とに、呑まれるように伏黒は言葉を失ったままを見つめ返した。理解が追いつかない。
「というわけで、伏黒くん。禪院家の次期当主になってもらえませんか?」
「………は?」
「これはオフレコなのですけれど。現当主である直毘人おじさまは伏黒くんを次期当主に推しているとのことなので、伏黒くん次第なのです」
「いや、なりませんよ。俺はもう禪院家とは無関係なので」
「それは困ります」
困ると言われても、伏黒も困る。
今まで会ったこともない、一応遠い親戚に当たる年上の少女。いきなり現れて口伝伝承者だとか時期当主になれとか結婚しろとか、本当に意味がわからない。
悪人では無いのはわかるが、別に善人でもない。言っていることは滅茶苦茶だが威圧的でもないし、傲慢さも無い。このちぐはぐで不思議な少女に、どう接するのが正しいのか、伏黒は判断出来ずにいる。
「わたしは『禪院家次期当主の花嫁』です。ですが現在の有力候補である直哉さんは正直、わたしには無理です。歳も離れてますし、子供の頃からひとのことを馬鹿にしてるし。相性最悪です」
「…ええと」
「フリで良いんです。結婚した後に即離縁してもらって構いません。お互いバツは付きますが、今時大した問題ではないでしょう?」
「…あの、」
「十種影法術の口伝伝承者ですから、役に立ちますよ。たぶん、わたしの術式も役に立つと思います。あ、別に恋人になる必要は無いので、そういうフリも要りません」
「…….あの……」
「…あ、いえ、必要であるということなら、はい。興味がないわけではない、ので。でも、わたし、多分世間一般で言う「世間知らず」だと思うので…あまりオススメではないですが…」
「……あの!!」
伏黒が静止の声を上げると、怒涛の勢いで喋っていたは、ぴたりと言葉を止めた。そして、不思議そうに首を傾げる。
「はい、なにか質問でしょうか?」
「………俺は禪院家の当主になんてなりませんし、あなたと結婚もしません」
握られたままだった手をそっと外して、伏黒は深く、息を吐く。
声帯術式がどうこう言っていたので、彼女の声自体になにか特殊な呪力があるのかもしれない。呑まれかけた意識を、頭を振って振り払う。
「境遇に同情はします。もっと別の方法で、その次期当主候補との結婚を回避する手助けなら、少しは出来るかもしれません。あなたの希望は、別に俺が当主になることでも俺と結婚することでもないですよね?」
五条がわざわざ連れてきたということは、協力してやれということなのだろう。その見返りとして、口伝を聞かせてもらう。五条の考えそうなことだ。伏黒は、そう判断した。
「出来る範囲でなら、協力しますよ。五条先生はそのつもりであなたをここに連れて来たんですよね?」
「……」
伏黒の問いに、は不思議そうに首を傾けたまま、ゆっくりと瞬きをした。
「伏黒くん」
「はい」
「あなたが禪院家から干渉されないのは、五条さんの後援のおかげです。わたしは、あなたとは違う。真希ちゃんとも違う」
「……」
どこか淡々とした口調で、ゆっくりと言い含めるように吐き出された言葉に、伏黒は思わず言葉を詰まらせる。
彼女は穏やかに微笑んでいるのに声音だけは淡々としていて、それでいて聴覚を支配するような音。気を抜けば呑まれそうになる。
「わたしは、あの家から逃げられません。だから正攻法で、少しでも良い未来を手に入れたい」
「結婚詐欺は正攻法かな?」
「ちょっと黙っててください五条さん」
茶々入れる五条を、は視線すら向けずに軽く流す。
「わかっています。大してあなたにメリットのある話ではないことくらい。わたしたちは対等ではありません。だから、わたしにチャンスをください」
押し黙っている伏黒に対して、は少し困ったように苦笑した。
そして再び、ぎゅっと彼の手を両手で握りしめる。
「時間をください。わたし、あなたを口説き落としてみせます!」
「………」
まったく話を聞かない上に、自分勝手なことばかり言っている。そのくせ生真面目に宣言してくるのだから、対応に困る。この不思議な少女をどうするべきなのかまったく判断ができず、困惑したまま、伏黒は緩慢な動きで助けを求めるように五条へ視線を送った。
「……ははッ。相変わらず変な子だねぇ」
対して、五条が返したのはそんな言葉だった。
面白がっていることを隠しもしないその反応に、伏黒は思わず眉間に皺を寄せる。そうだ、こういうひとだった。
「期限を決めよう。そうだねぇ…一年かな。一年頑張ってみたら?」
「わかりました! 一年ですね!」
「先生!」
「良いじゃない別に。変な子だけど悪い子ではないし。断られてもめげないんだから、このくらいしないと諦めないでしょ」
「……」
確かに、一理ある。
まったくこちらの話を聞かないし、顧みない。期間とルールを決めてしばらく好きにさせて、諦めさせるのが一番簡単なのかもしれない。
…伏黒のストレスには一切考慮しない方法だが。
「でも恵の邪魔しちゃダメだよ、」
「はい! 基本は大人しくしてます!」
元気良く返事を返すに、伏黒は胡乱な視線を向ける。大人しくしているとは、到底思えなかった。そして恐らく、五条には一切止める気がない。
「………でもさんは部外者ですよね? それとも京都校の生徒なんですか?」
「いいえ? 純然たる部外者です」
「…純然たる、って」
いちいち言葉のチョイスがおかしい。
「基本的に御三家の人間は高専に入学しないからね。必要ないし。というかそもそも、君、高校行ってるの?」
「行ってませんよ?」
「やっぱり? でも恵と別れた後に学歴無しだとひとりで生きていくの難しいよね」
「別れた後って」
付き合ってすらいないのに、別れた後の話が出てくる時点でだいぶおかしい。当事者であるはずの伏黒を置いてけぼりにして、と五条はどこかズレた『今後の話』を進めていく。
「…なるほど、考えたことありませんでした。五条さんも一応教師なのですね」
「いや、普通に教師だよ。失礼な子だな」
「でも今更、高校に入学…あ、そうだ」
何か思いついたのか、は目を輝かせてぱんっと柏手を打った。
「五条さん」
「なに?」
「東京校に編入させていただけませんか? あなたなら強引に通せますよね?」
「は僕のことなんだと思ってるの…?」
「強権発動者ですかね。…出来ないんですか?」
「出来るけど」
は禪院家の分家筋で、一応、仮にも、禪院家次期当主の花嫁候補だ。五条の権限が届く範囲に居るとは思えない。
思えないのだが、恐らく通る。そんな確信めいた自分の予想にげんなりして、伏黒は深く息を吐き出した。
「……京都校の方が良いんじゃないですか? うちは三年生、停学中ですよ」
「京都校には伏黒くんがいません」
「……」
即答だった。一切の迷いもない。
そもそもは勉強がしたいわけではないのだから、当たり前だった。
「まあ、学力とかは二の次だし、ほとんど形だけの在籍にはなるけど通るんじゃない?」
「卒業資格貰えますか?」
「変なとこしっかりしてるね…良いよ、通してあげる」
「やったー」
「雑…」
こんな雑な決め方で良いのだろうか。
五条家と禪院家は仲が悪い。そこに五条が『ワガママ』を通して、禪院家でもそれなりに重要な位置にいるを懐に抱え込むのは、かなりリスキーなのではないか。
「さっき恵も言ってたけど、三年生は今居ないから、はその日その日で二年生と一年生に混ざって授業受けな。寮の方は…真希に頼んでおくか。実家の方は僕がなんとかしておくよ」
「ありがとうございます! 初めて五条さんを尊敬しました!」
「君さぁ…良いけど…」
不安を覚える伏黒の心情を余所に、五条との間で話はまとまってしまった。
「諸々の手続きしてくるから待っててね」、などと軽く言って教室を出ていく五条を見送って、は、伏黒の方へ振り返る。
「というわけで! よろしくお願いしますね、伏黒くん!」
悪人ではないが、変人ではある。
この先何をしでかすかまったく予想が付かず、伏黒は既にだいぶ疲弊していたが、嬉しそうなの様子に何も返せずただ、頷いた。
To be continued?
気に入っていただけたら、ぽちっと押してあげてください。コメントは入れなくてもOKです。